さぽろぐ

日記・一般  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


2006年02月17日

ジプシー

以前の仕事の一つに写真現像があった。
1人で店に居た時、20代後半か30代半ば位の女性が
赤ちゃんの写った一枚の古い写真を持ってやってきた。
この写真からもう一枚写真をプリントして欲しいと言う。
残念ながら店にあった現像機はネガからしか写真をプリントできなかった。
うちの店ではネガからしかプリントができないんですよと言うと
その女性は皆がここに来ればやってくれると言ったと言う。
事情を説明してもでも皆がやってくれると言ったと
なかなか私の説明を聞き入れてくれなかった。
近くにカラーコピーをしてくれる大きな事務用品店があるので
そこの事を教えてあげようと思ったら突然その女性が怒り出した。

「私がジプシーだと思って差別しているんでしょう」
何のことだか訳がわからなかった。
「本当はできるくせに私がジプシーだと思って嫌がらせしている」と
更に続けた。
差別などしていない。この機械ではできないのですと説明しても
彼女の怒りは収まらなかった。
ブツブツと文句を言いながら店を出て行くときに私に向かって
「Bitch(ビッチ)」と叫んだ。
ビッチとはあばずれ女という意味で相手を蔑む言葉である。
テレビの放送禁止用語のようにあまり使ってはいけない言葉になっている。

1人店に取り残された私は怒りの向けようがどこにもない。
ジプシーだと言われても私の目から見たらただの白人のイギリス人。
イギリス人だったら彼女がジプシーなのか見分けが付くのかさえわからない。
そんな見分けも付かない日本人の私に激怒する彼女のほうが
私を差別していると言いたくなる。
悔しくなり話を聞いてもらいたくて思わず夫に電話をした。
一通り事情を説明したら少し気分が落ち着いた。

その後あの女性は今までも何かあるたびに自分はジプシーだからと
怒ったり、悲しんだりしたのだろうか。
そしてこれから先も何かある度にジプシーだからと言いながら
生きていくのかなと考えたらなんだか私の怒りがどうでもよくなった。
哀れという言葉は相応しくないが、可哀想に思えた。
自分で今の環境を変える事はできるはずだが、
たぶん彼女は何かある度にジプシーを言い訳に生きていくのだと思う。

あの写真の赤ちゃんは彼女だったのだろうか。

あなたにおススメの記事

同じカテゴリー(仕事)の記事画像
マーガレット、お疲れ様
リトル・ジョー、あれから
5月のクリスマスプレゼント
夏かも?
さよなら、アマンダ
黄色のバラ
同じカテゴリー(仕事)の記事
 マーガレット、お疲れ様 (2012-01-15 06:20)
 ロニー (2012-01-08 22:07)
 リトル・ジョー、あれから (2011-12-04 23:02)
 あの・・・お尻に触っても (2011-11-19 21:47)
 若いお父さん (2011-11-17 06:06)
 リトル・ジョー (2011-11-09 06:00)
Posted by kemmi at 03:11│Comments(7)仕事
この記事へのコメント
ジプシーと聞くと即座にビゼーの「カルメン」を思い出します。
幼い頃、兄が聞いていた蓄音機(笑)から流れてくるメロディーに興味を持った時、あらすじを教えてくれて、それがジプシーの聞き初めかと・・・
私の中のジプシーは気性が激しく、虐げられた人生をおくっているように感じたまま現在に至っています。
旭川で生まれ育った私は、アイヌ部落と呼ばれる集落があり、クラスにもアイヌ人がいましたが、子供だったせいか、自分の中では差別はありませんでした。
もっと幼い時、家に大きな槐(えんじゅ)の木があり、夏は葉が陽射しを遮るので、暑さと疲れた方は、そこで休まれていましたが、アイヌの方がいると、近所の子供達が「アッ、○ヌがいる!」とはやし立て、私も記憶にないけれど、一緒に言い立てたのではないかと、未だに心の奥底に解決できないしこりがあります。
kemmiさんのジプシーからずいぶん長々と語ってしまいごめんなさい(笑)
Posted by クッキーママ at 2006年02月17日 20:30
私の育った町には教会が営んでる孤児院のような施設ががありました。
親を亡くした子、事情があって親と一緒に暮らせない子達が暮らしていました。
私のクラスにも3,4人の同級生がそこから通っていました。
その施設では消毒をしていたようで衣服に独特の臭いが付いていたのです。
それを男の子達が○○園の生徒は臭いとからかっていました。
子どもは残酷ですね。
でも女の子達が強くてそんなこと言う男の子達をいつも叱り飛ばしていました。
Posted by kemmi at 2006年02月18日 09:02
♪L'amour est enfant de Bohe`me,
il n'a ja jamais connu de loi,
si tu ne m'aimes pas, je t'aime,
si je t'aime, prends garde a` toi!(ちゃちゃっちゃっちゃー!)♪
おちゃらけた書き出しですが、『差別』というのは、日本国内だって密かに(公にも)根強いものがあります。ましてや表向き多民族国家になっている国であればあるほど、目に見えない形(心無い人ならば露骨な形)となって、存在しているのだろうな、と考えています。
八つ当たりの矛先を向けられてしまったkemmiさまとしては、気分があまり宜しくはないでしょうが、そうやって心を鎧わざるを得なくなったり、そうとでも考えないと納得できないことが色々あったんだろうな、とでも考えて、水に流して差し上げましょうよ。日本人は水に流すのが得意(?)ですから。
お気を悪くなさったらごめんなさい。その時は削除します。
と、顔だちの関係でやけに日本人以外に見られることの多いつぶろうが語ってみました。(南米、フィリピン含めた東南アジア系)
末筆ですが、当方への書き込み有難うございました。
Posted by つぶろう at 2006年02月18日 10:54
こんにちは。気を悪くしてませんから大丈夫です。
そうですね。差別はありますね、どこでも。
私の暮らす町は大都会から離れていてのんびりしていて
お年寄りからよく話しかけられます。
でも数年前にバス停でバスを待っていたら
反対側の歩道を歩く10代の数人の男の子達が
私に向かって石を投げてきました。
そういう時って咄嗟に言葉が出てこなかったのですが
後々悔しさが増して日本語でもいいから罵倒したかったと思いました。
何やってんだこの野郎って。
Posted by kemmi at 2006年02月19日 01:50
現在のアメリカでも日本人が入れないレストランがあるとか聞きました。
自分が黄色人種と思ったのは蜜柑の食べすぎで手のひらが黄色くなった時くらいで・・・現実はまだ差別があるのが悲しい・・・。
Posted by クッキーママ at 2006年02月19日 23:47
殺伐とした現代において相手を蹴落とそうと考えている人間が多過ぎかもしれません。対等な関係、対等な国家間は夢物語かも。もしあるとすれば思いやりの心を相手に持てるか否かだと思います。すれ違い、意見の食い違いは日常茶飯事。でも相手の身になって考えることが出来れば引き際とか、何を言いたいのかが分かります。
書かれているこの人は、思い込みの激しい人。また、そのような過去の出来事がその態度に出たのかな?。誠意をつくしても分かってもらえない事程、悲しい事はありませんね。
Posted by 北の旅烏 at 2006年02月20日 13:47
クッキーママさん
いじめと同じでなくなる事はないんでしょうね。

北の旅烏さん
たしかにジプシーでだったことで受けた差別はあったのでしょうね。
でも嘘か本当か判断できなくなるのは寂しいですね。
Posted by kemmi at 2006年02月21日 07:35
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
ジプシー
    コメント(7)