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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2011年10月15日

柳ジョージさん

今朝パソコンをつけて一番最初に日本のニュースをチェックしたら
柳ジョージさんの訃報が目に飛び込んできた。
彼の声が好きだった。
まだまだ歌ってくれると思っていたのに・・・

26年前、一年間オーストラリアへ行く時に
好きな歌手のテープを何本か持って行った。
その中に初めて買った柳ジョージのテープもあった。
テレビやラジオで彼の歌を聞くことはあったが
アルバムを買ってまでじっくり聞くことはなかった。
For Your Loveというアルバムに収録されていた曲の中で
「青い目のステラ」が一番好きだった。
この歌を聞いていると情景が浮かんできた。

シドニーに住んでいた時1ヶ月だけ日本人の男性と
ルームシェアーしていた。
彼は柳ジョージをずっと好きで聴いていたと言う。
短い期間だったが彼とは仕事から帰ってきてよく話をした。
2人で柳ジョージを聴いた。
私が「青い目のステラ」は初恋の歌だよねと言うと彼はびっくりしていた。
そんな風に考えたことがなかったと。
異国の女性に可愛がってもらっていた小さな男の子の淡い想い。
その子にとってそれは初恋だったとこの曲を聴いて思った。

今はその彼の消息はわからないけれど
世界のどこかで訃報を知ったのだろうか。
柳ジョージさんの歌を聴いているだろうか。

原田芳雄さんが亡くなり今度は柳ジョージさんまでも。
どうしても残念に思ってしまう。

ご冥福をお祈りします。  

Posted by kemmi at 05:27Comments(6)哀悼

2011年07月25日

パンさんのご主人

毎日のようにお店にやってきて声をかけてくださったパンさんが
突然亡くなったのは去年のクリスマスちょっと前だった。
昨日デイブと仕事をしていたら
パンさんのご主人が1ヶ月ほど前に亡くなったと教えてくれた。
驚いた。
パンさんが亡くなって半年経ったところだった。
先週パンさんの娘さんを見かけたのだが
声をかけそびれてしまった。
半年の間にご両親を亡くされてさぞ気を落とされていることだろう。
長く連れ添った夫婦にはよくあることなのよねとデイブが言っていた。

夫に報告すると残された伴侶が後を追うように逝ってしまうのは
よくあることだとデイブと同じことを言っていた。

今頃はパンさんと再会して安らかにいてほしい。  

Posted by kemmi at 02:07Comments(4)哀悼

2011年05月12日

ジョンのお父様

ジョンは以前私のスーパーに勤めていた。
長いことアメリカにいたそうでよく日本食が好きで食べていたと
そこから話が始まりよく話をしていた。
ジョンはアメリカの生活を切り上げ共に90歳を超えるご両親を
世話するために帰ってきた。

数年前にスーパーは辞めたが近所に住んでいるので
毎日のように買い物に来ている。
私が花売り場に移ってからは必ず立ち寄ってくれて
たわいのない話をしたり
お母様のためのお花を選んであげたりしていた。

昨日もジョンが現れてたわいのない話をしながら
前に薦めた観葉植物が気に入ったのでもうひとつと頼まれた。

別れ際に私の耳元に顔を寄せて
「実は父が日曜日に亡くなったんだ」と言われた。
びっくりしてジョンの顔を見つめた。
以前からかなり悪い状態だと聞いていた。
「眠るように逝ったよ」と言った。
ジョンのお母様は今は老人用のケアハウスにいる。
お母様にも知らせたそうだ。
お悔やみの言葉もなかなか出てこず
彼の手を握ったまま
ジョンは大丈夫?としか聞けなかった。

アメリカからご両親のために帰ってきたジョン。
年老いた両親を日本に残している私。
なんとなく共感できるものがあった。

お父様のご冥福を祈ります。
  

Posted by kemmi at 05:16Comments(0)哀悼

2011年04月28日

パンさんの娘さん

今週もパンさんの娘さんが花売り場に来てくれた。
今回はゆっくりお話しすることができた。
一番末の娘さんで夫とクラスが一緒だったお姉さんとは
年が離れているとのことだった。
お父様のことを尋ねると一人でテレビを見ていると教えてくれた。
お父様はあまり英語がわからず娘さんも中国語は単語が
わかる程度で会話は難しいそうだ。
きっとパンさんがお子さんとご主人の間で会話を
成り立たせていたのだろう。
急に話し相手を失ったご主人が不憫に思えた。

じゃあお買い物を続けてくださいといったん娘さんから離れたのだが
娘さんが室内用の菊の鉢植えを見ていて
パンさんがよくそれを買っていたのを思い出した。
お母さまはその菊が好きでよく買われていましたとまた声をかけると
「本当に母は菊が好きでした。
あとゆりの切花も好きでしたね」と答えられた。
じっと菊の花を見ている娘さんの後姿はやはり寂しさが漂っていた。  

Posted by kemmi at 05:23Comments(2)哀悼

2011年04月19日

パンさん


今日からガーデンセンターのオープン。
スーパーの外に新しくできた店舗で仕事をしていると
アジア系の女性が私に近づいてきた。
ミセス・チャオ(パンさん)をご存知ですかという質問で
パンさんの娘さんだとすぐにわかった。

花売り場に移って2年半なのだがその頃から
よく声をかけてくれた香港出身のパンさん。
お年は70代と言っていた。
幾度かアリソンと私にご主人手作りのアップルパイをもってきてくれた。
日本にも行ったことがあるとその時の写真も見せてくれた。
そのパンさんが去年のクリスマス前に突然亡くなったと
デイブが教えてくれた。
デイブはパンさんの近所に住んでいてそのニュースを聞いたそうだ。
パンさんは毎日のように買い物に来てくれた。
最後に見たのはクリスマス商戦で忙しく倉庫から花を運んでいるときに
買い物中のパンさんを見かけた。
忙しくて側まで行って声をかけられなかった。
それが最後だった。

今年に入ってもパンさんの姿はなく、
本当に逝ってしまったのだなと思っていた。

今日やってこられたパンさんの娘さんは
「母が亡くなったこと知っていますか?」と言われた。
突然亡くなられたと聞いたこと
よくお店に来てくれてアップルパイを頂いたりしたと話した。
パンさんは癌だったと娘さんは話された。
でも本人も家族も誰も知らなかったそうで
亡くなった週のはじめに町医者に胃痛を訴えて診てもらったが
ただの腹痛で片付けられてしまったそうだ。
そしてその週に台所で倒れ帰宅した家族に発見されたが
もう息はなかったそうだ。
進行の早い癌だったのだろう。

「母がよくあなたの事を話していたんですよ。
日本へ行ったときの写真も見せたと言っていました。
だから母が亡くなったことをお知らせしたくて来たんです。」と言われた。
あなたは大丈夫ですかと娘さんに尋ねると彼女の目が潤んでしまった。
大丈夫なわけはないのに・・・
お父様はお元気ですかと尋ねると今月80歳になったと言われた。
私の父と同じだった。
もう少しお話がしたかったのだが他のお客様から声がかかり
娘さんは気を利かせて立ち去っていった。
その時にまたいらしてくださいと声をかけた。

今日はガーデンセンターの初日で忙しく頭の中も混乱していた。
休憩に入ってお手洗いで手を洗っている時に娘さんが来てくれたことを思い出した。
パンさんがご家族に私のことを話していたこと、
娘さんがわざわざ知らせに来てくれたことを思い出すと目頭が熱くなった。

一期一会。
パンさん、どうぞ安らかにお眠りください。  

Posted by kemmi at 20:24Comments(5)哀悼

2009年03月10日

看板犬

今朝バスルームに入ると2つある電球の1つが切れていた。
早速近所の金物屋に行って新しいのを買ってきた。
ジャックラッセルが2匹いてとても手厚く歓迎してくれた。
いつもの看板犬は店にはいなかった。
家に戻り新しい電球に取り替えたが点かない。
よく見ると中の電線のようなものが切れている。
不良品だ。
イギリスではこういうことがよくある。
仕方ない、また取り替えてもらいに行った。
その時店の奥さんにこの犬たちは新しく飼ったのと訊くと
「弟の預かってベービーシッターをしているの」と言った。
看板犬のことを聞こうと思ったら
「前からいた子は死んでしまったの」と言われた。
え、いつですかとたずねると4週間前だったそうだ。
最近見かけないなと思っていたのだが亡くなってしまったとは・・・
「あの子は本当にいい子だったわ」と奥さんが言った。
私もあの子が好きだったんでとても残念ですと言うと
奥さんはやっぱり寂しいからまた犬を飼おうと思っていると教えてくれた。

いつも店の前で店番をしていたあの犬。
時には寝ていたり。
あの犬がいるときにはいつも挨拶をして通っていた。
あの姿が見られないと思うと寂しい。  

Posted by kemmi at 00:44Comments(2)哀悼

2009年02月19日

スーのお母さま


スーのお母さまが3週間ほど前に亡くなった。
スーは2週間の有休をとる予定だったので結局3週間お休みして
今週から仕事に復帰した。
昨日久しぶりにスーに会ったがこういう時どんな言葉をかけたらいいのかわからない。
大丈夫?と声をかけるとまあねとスー。

スーのお母さんと私の母は同じ年なので顔をあわせると
お互いのお母さんはどうなんて声を掛け合っていた。
スーのお母さんはここ3年半ほど寝たきりだった。
スーはほか3人の兄妹と当番制でお母さん家に泊まっていた。
そのほかにもスーは仕事前にお母さんのところに寄って
紅茶を入れ、仕事帰りも寄ってお母さんに顔を見せていた。
寝たきりではあったけれど意識ははっきりしていた。
ユーモアのセンスもあって時々スーからお母さんの面白い発言や
様子を話してくれた。

いつかはこんな日が来るかもしれないと思っていたが
できれば避けたいと思っていた。
そんなことは無理なのに。

今もスーはお母さんの家を訪ねカーテンを開け
仕事帰りにはカーテンを閉めて帰ってくると言っていた。
ただそこにいるべき人がいないのでへんな感じだと言っていた。  

Posted by kemmi at 23:40Comments(4)哀悼

2009年01月19日

ヘレン


肘を怪我して以前のサラダバーから花部門を手伝ってそろそろ1ヵ月半。
売り場にいると知り合いと再会することもある。
花売り場を手伝い始めて間もない頃一緒にお花を習っていたジーンに
しばらくぶりで再会した。
久々の再会を喜び合っていたらジーンから悲しい事を知らされた。
私たちの先生だったヘレンが2007年に癌で亡くなっていたということ。
あまりにも突然の悲報で言葉を失ってしまった。
2005年にヘレンのクラスを終了したあともヘレンは連絡をくれて
展示会のお花の飾り付けを手伝ったりお茶をしたりした。
2007年の5月にヘレンとリンダと三人でお茶をしたのが最後だった。
またの再会を約束していたのに・・・
一年以上もヘレンの死を知らなかったなんて。  続きを読む

Posted by kemmi at 06:24Comments(6)哀悼

2008年07月26日

再会から6ヶ月で

一昨日の夜、仕事から戻ってきた夫が部屋に入るなり
「あんなろくでなしの父親でも死んだと聞いたら線香でもあげてやらないと」と言って
私が妹の写真と線香をおいて祭壇のようにしている所にろうそくを点け
線香をあげて手を合わせた。

夫の父が亡くなったと聞いたとき胸がどきんとした。
1月の末に姪っ子の葬式で48年ぶりに夫と父親が再会したのだった。
健康が優れないことはわかっていた。
でもあれからたった6ヶ月でこの世を去るとは思ってもいなかった。
夫に一言声をかけてもらいたくて夫を気にしてた父親の顔が目に浮かんだ。
私も線香をあげて手を合わせた。

私はやっぱりお父さんが亡くなる前に会えてよかったねと言ったが
夫は何も答えなかった。

その日、夫は母親に電話をしたら話のついでのように
「そういえばあんたの父親が亡くなったよ」と言われたそうだ。
どうして亡くなったのか、何時亡くなったのか何もわからない。

たった一度だけ夫の父の顔を見た私だけど彼の訃報はショックだった。
こんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。
夫にすれば私以上にショックだろうと思うがそれを共有するのは
無理だろうと思う。
また夫も私に共有してもらおうとは思っていないかもしれない。



  

Posted by kemmi at 04:54Comments(2)哀悼

2008年04月26日

ノーマン

夫が仕事で膝を痛めたので今日クリニックに行ってきた。
引越ししてからかかりつけのクリニックの変更をしていなかったので
元住んでいたクリニックへ行ってきた。
そして以前住んでいたフラットの前も通った。
私たちが住んでいたフラットの2階に住んでいるノーマンは
元気だろうかと夫と話しながらその前を通った。

帰り道またそのフラットの前を通りかかったら
ご近所さんだったメアリーさんがちょうど犬の散歩に出かけるところだった。
久しぶりの再会を楽しもうと思ったらメアリーさんの口から出たのが
ノーマンさんの死だった。
一週間ほど前に自宅で亡くなったのだがたまたま訪れる者がいなくて
今週の水曜日に家族が訪ねたらすでに亡くなっていたそうだ。
言葉を失った。  続きを読む

Posted by kemmi at 06:29Comments(6)哀悼

2006年03月04日

さようなら、フラノ

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あまりにも突然で悲しい知らせ。
フラノが亡くなった。
仕事が終わって携帯を見ると夫からメッセージが入ってた。
胃ガンだったそうだ。  続きを読む

Posted by kemmi at 05:54Comments(5)哀悼