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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2012年02月21日

すり鉢

夫がダイエットを再開して1ヵ月半ほど経った。
困るのが献立だ。
日本食でのダイエット食なら浮かんでも
日本食とはいえない食事を取っているので難しい。
前々から豆腐を何とか使えないものかと思っていて
先週思いついたのがミートローフに豆腐を混ぜること。
夫は豆腐は食べないと言うので内緒で混ぜてみた。
食感が軟らかく美味しくできた。
夫も軟らかいねといいながら美味しそうに食べていたので
食べ終わるまでは豆腐を入れたことを言わなかった。
あとで豆腐を入れたことを言うと一瞬顔色が変わったが
これから豆腐を混ぜてもいいようだ。

ところで豆腐を崩すのにフードプロセッサーを使うと
洗うのが面倒くさいなと思っていたら
すり鉢があることを思い出した。
引っ張り出して簡単に豆腐をすりつぶすことができた。
このすり鉢にはちょっとした話がある。



これは妹がまだ元気な頃で札幌に出かけるというので
イギリスに持ち帰るすり鉢を買ってきてほしいと頼んだ。
あまり大きすぎるすり鉢は欲しくなかったので
いろいろと考えて5号のすり鉢と決めていた。
実家にあるのより一回り小さいものだ。
妹は人の話を聞かない悪い癖があった。
私が5号と言っているのに5号じゃ小さいんじゃないと言っていた。
私が小さくていいの、いろいろと考えて5号に決めたんだからと。
そこで妹は納得したと思っていたのだが
東急ハンズから買う直前に電話をかけてきて
やっぱり5号じゃ小さいと思うよと言うのだ。
いいから5号を買ってきてと言って
母に私が5号でいいって言うのに納得しない奴だと
愚痴を言っていた。
そして妹が結局買ってきたすり鉢は7号。
妹は悪びれもせず5号じゃ小さいと思ったんだよねと。
誰が使うのじゃ我を忘れそうになった出来事。
実家のサイズのひとつ上で5号を頭に描いていた私には
とてつもなく大きく見えた。
文句を言いながらその大きなすり鉢をイギリスまで
持ってくることになった。

今回久しぶりにすり鉢を使いながらその事を思い出していた。
思い込みが激しくて人の話を聞かない妹だったなと苦笑い。
使いながら大は小を兼ねるといいように考えた。
  

Posted by kemmi at 23:20Comments(0)

2011年04月12日

初めてのご注文

こちらの時間では明日になるが日本時間ではもう12日なので
妹の命日だ。
もう丸5年がたってしまった。
妹について書きたいことはいっぱいあるがなかなか書けなかった。

10年以上も前からずっとビーズをやりたいと思っていた。
忙しくてなかなか時間を見つけられなかった。
それを知っていた妹は私の買っていたビーズの本を見て
ビーズがやりたくなったと先にビーズを始めた。
ちょうどタイミングよくカルチャー教室で数回のレッスンがあったので
それに参加していた。
太極拳も私がやりたいと思っていたのだが結局機会がなかった。
妹は近所で太極拳を教えてくれる情報を得て始めた。
いつも準備に時間をかけていたのが私で
すっと始めるのが妹だった。

妹がビーズを始めて少しずつ作品が増えてきた頃
近所のリサイクルショップで妹の作品を置いてくれることになった。
少しずつ妹のアクセサリーが売れるようになった。
里帰りで日本に帰ってきた時に妹がうれしそうに
初めてアクセサリーの注文が入ったと言う。


写真の指輪がそうである。
これから結婚式を迎える女性からのご注文で
式の日に母親とおそろいの指輪をしたいとのことだった。
自分の初めての注文がその女性の人生の門出を祝うものになることが
とてもうれしいと言っていた。
おそろいだがサイズがかなり違っていた。
ひとつがとても大きい。
私が花嫁さんのお母さんは太っているんだねと言うと
妹はくすっと笑って
「実は大きいほうがお嫁さんのなの。
私も最初は小さいのがお嫁さんのだと思っていたのよ。
知らないと勝手にお母さんが太ってるって思っちゃうよね」と
笑っていたのを思い出す。

今でもあの時を思い出す。
妹のうれしそうな顔。
そしておかしい勘違い。

この写真は妹に頼まれて私が撮った。
よく撮れていると喜んでくれた。



  

Posted by kemmi at 05:34Comments(6)

2009年04月12日

嬉しい知らせ


今日は妹の命日。
早いもので丸3年が経ってしまった。
どうしても命日が近づくと妹が亡くなった頃を思い出して
悲しい気持ちになってしまう。
以前よく好きで見ていた番組でミディアム(霊能力者)が
亡くなった人のメッセージをその家族に伝えるものがあった。
そのミディアムがよく言っていたのはどんな風に亡くなったかに
こだわらないで欲しい。
どんな風に生きていたか。そして幸せだった故人を思い出して欲しいと。
私もそうしなければと思う。

今日、両親の世話をしてくれている叔母に電話をしたら
母の退院が決まったと教えてくれた。
去年の春に退院を予定していたが叔母が骨折したり
その後叔母の体調もすぐれず母の退院は先延ばしとなってしまった。
はるか遠くに暮らしていて叔父叔母の都合も考えず
母を退院させて欲しいとは言い出せなかった。

妹の命日に母の退院が決まった知らせは本当に嬉しい。
  

Posted by kemmi at 23:35Comments(4)

2009年01月14日

花のカレンダー


ミャンマーにいる妹の友達からカレンダーが届いた。
手紙が添えられていてカレンダーを作りましたとある。
彼女のは9月ですともある。
最初意味が飲み込めなかったのだが
よくよく9月の写真を見てみるとBy Y子と彼女の名前があった。
この白いバラのアレンジとミャンマーの仏塔の切りえは
彼女がやったものだった。
そういえば妹が彼女はとても絵が上手で一緒に遊びに行った先で
小さなスケッチブックにささっと風景をスケッチしていたと言っていた。
とても器用で切り絵も上手だと言ってたのを思い出した。
年賀状もとても凝っていて妹は彼女から来た年賀状を
毎年私に見せてくれた。
カレンダーの作品を見てセンスの良さ、細かい作業に感心した。
ミャンマーに住まれたいる方々がミャンマーのお花を使って作ったカレンダー。
彼女の温かい気持ちに感謝しつつ今年一年楽しませてもらおう。
  

Posted by kemmi at 23:42Comments(4)

2008年10月28日

お姉さん

今日出かける間際に葉書が届いた。
亡くなった妹が一番仲良くしていた友達だ。
ご主人の仕事の関係でミャンマーにいる。
いろいろと物騒なことがあるが結局はミャンマーでの生活が続いている。
葉書は一時帰国している日本からだった。
今月初めにミャンマーの日本人会で秋祭りをやった時だそうで
浴衣を着てご主人と一緒に写っている写真の葉書だった。
さっと目を通して妹の祭壇に供えた。
仕事から戻ってきてもう一度ゆっくり目を通すと
Kemmiお姉さんという書き出しで始まっていた。
妹が亡くなってからお姉ちゃんと呼ばれることはないと思っていたのに
妹の大切な友達が私をお姉さんと呼んでくれる。
ふっと目頭が熱くなってしまった。

時々近況を知らせてくれる。
妹を亡くしてしまったけれど妹が信頼していた友達が
私を気にかけてくれて連絡をくれる。
その優しさがが突然胸に沁みてきた。
ありがとう。  

Posted by kemmi at 06:48Comments(2)

2007年07月13日

イチゴ

りむパパさんのところでとても美味しそうなイチゴを見て
思わず涙してしまった。
イチゴは亡くなった妹の好物だった。  続きを読む

Posted by kemmi at 05:28Comments(2)

2006年07月28日

涙そうそう

IMG_2013.JPG

妹とはよくコンサートや演劇を観に行った。
ビギンの初めてのコンサートにも二人で行った。
その後、涙そうそうを聞いた時、いい曲だなと思った。
作詞の森山良子さんが愛するお兄さんを亡くした後作った詩だと
教えてくれたのは妹だった。
そしてその年の紅白歌合戦を録画して送ってくれた。
ビギンが涙そうそうを歌っていて聞いていて涙がこぼれた。  続きを読む

Posted by kemmi at 04:48Comments(4)

2006年06月27日

夫のマスコット

IMG_1992.JPG

妹は携帯電話でのブログを持っていた。
亡くなった後にその事を知り、そこを訪ねてみると
妹はそのブログのマスコットに夫の体型そっくりのシロクマ選び、
夫の名前を付けていた。
初めて見たとき妹が夫を兄として慕っていてくれていたことに涙がこぼれた。
そして大きなお腹のシロクマと夫の体型を重ねて笑ってしまった。

不思議なことに私と妹がブログを始めた頃はほぼ同じ時期だった。
でもお互いに黙っていたのである。

写真のストラップは妹のブログの運営者さんがご好意で何個か
送ってくれた。
それを母、夫、私の三人がそれぞれの携帯電話に付けている。
名前はもちろん夫の名である。  

Posted by kemmi at 00:11Comments(2)

2006年05月05日

花とおじさん

DCF_0036.jpg

お悔やみのお言葉、温かい心遣いありがとうございました。
写真は妹が亡くなる二日前に撮って送ってくれた写真です。
題は「花とおじさん」。
妹が育てていたハイビスカスが咲いたのでその花と
夫が送った帽子を父にかぶせて撮った写真です。  続きを読む

Posted by kemmi at 11:56Comments(9)

2006年04月20日

12日に妹が亡くなり、今私は日本に戻っています。
43歳、あまりにも早すぎる別れでした。
急性心不全でした。
そんなに深刻な状態だとは思っていなかったのですが
妹は私に心配をかけまいと隠していたようです。
亡くなる前夜、妹は普通どおり床についたのですが
翌朝母が時間になっても起きてこない妹を起こしに行くと
妹は既に冷たくなっていたそうです。
私は運良く連絡をもらった日の飛行機が取れて一人帰ってきました。
妹には会えないかもしれないとあきらめていたのですが
お通夜の晩に帰ることができ、妹に会うことができました。
それだけでも良かったと思っています。
辛いですが、私のいない分、妹が親を守り、病気と闘いながら
一生懸命生きてきたのでそんな妹に恥じられないように
やらなければならないことをやって妹を送ってやりたいと思っています。
日本には四十九日まではいることにしました。
しばらくはこちらを留守にしますが、また戻って来たいと思います。
ご心配かけますが、私は大丈夫です。  

Posted by kemmi at 16:22Comments(5)