父の日

kemmi

2007年06月18日 01:24

父の日にあられ菓子を贈った。
注文が遅くなってしまって父の日の翌日になると連絡を受けていたので
それを知らせようと今日実家に電話すると今日の午前中に届いたとのこと。
父がとても喜んでいて御礼を言いたいと母が父を電話に出した。
嬉しかったこと、母と二人で食べたことを教えてくれた。
今まであらたまって父の日にプレゼントなどしたことがなかったが
父が母のいない間頑張ってくれたことのご褒美だからと言うと
ああ、そうかいと笑っていた。
母が退院してから1ヵ月半が経った。
電話で聞く母の声は落ち着いていて明るく良い状態であるのがわかる。
父の愚痴をこぼすことがなくなった。
父はあれこれと母の手助けをしているようでいろいろとやってくれるので
ありがたいと母が言っている。
以前は不器用な父を見ているとイライラするらしく母が癇癪を起こしていた。
今日の電話で母は自分の身体も年でなかなか動かないのに
父さんだって年なのに自分のために頑張ってくれるから
イライラしないようにしているのだと言った。
いろいろと世話をしてくれている叔母も二人とも変わったよと言っていた。
おやつやおかずを持ってきてくれると
「父さんと二人で食べよう」とか「父さんと食べて美味しかった」と
言うようになったとも。

それぞれの夫婦に歴史があるように私の両親もいろいろとあった。
母は父の病気を知らずに結婚し、結婚直後それが発覚。
母は父の家族に逃げないように見張られたこともあったそうだ。
日本の悪しき風習では精神の病は隠さなければならないもの。
母は絶望で死ぬことも考えたがそれも諦めた。
その後は授かった私達を育てることが母の生きがいだった。
父に対しての感情は憎しみだけだった。
その憎しみは私にも受け継がれた。
25歳になるまで私はそこから抜け出すことができなかった。

父はただ母に褒められたい、ありがとうと言ってもらえるだけで十分なのだ。
母は妹を失ってその悲しみを受け入れるのに大変な思いをした。
母が正気を失って入院した5ヶ月は父にとっても母にとっても長かった。
その悲しみを乗り越えて家に戻った母は父を受け入れることが
できるようになったのだと思う。
それはやはり父も母の助けになりたいというのを
素直に表現できるようになったから。
人はいくつになっても学び成長していくのだと両親を見て思う。
離れ離れの5ヶ月は父と母にとって大事な試練だったのだ。
電話の向こうで父に語りかける母に笑いで答える父。
正直言ってこんな日が来るとは思っていなかった。
妹が今の両親を見たらどんなに喜ぶかと思う。
関連記事