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2009年10月03日

ザキントス島―モニカ


ホテルのパーはモニカが一人でやっていた。
とても気さくな性格ともてなし上手でたくさんの泊り客が
モニカがいるこのホテルに毎年戻ってくるようだった。
私も夫も10日間毎晩このバーで飲んで話を楽しんで部屋へ戻った。

モニカはルーマニア人で17歳の頃ギリシャにきてその後すぐにギリシャ人と結婚して
そのままずっとギリシャに住んでいるそうだ。
残念ながらそのご主人とは離婚したそうだが今ではルーマニアよりも
ギリシャにいる年数のほうが上回っている。
モニカは英語、ギリシャ語、ルーマニア語の他に伊語、仏語、独語など
全部で7カ国語話せるそうだ。
頭の回転も早くて話題も豊富だった。
驚いたのはゲストの名前は最初にあったときに覚えてしまうことだった。
モニカが泊り客同士を紹介してその後気軽に挨拶したり話をしたりできるようになる。
モニカのおかげで仲良くなったデイブとジル。
ある晩、夫が地元のラグビーチームの名前が入ったTシャツを着ていたら
デイブがWarringtonから来たのと訊いてきた。
デイブは25年間Warringtonに住んでいて2週間前に奥さんと別れて
リバプールに戻ったばかりだと言う。
奥さんだと思っていたジルはデイブの妹さんで
奥さんと来るはずだったこの旅行を無駄にしたくなかったのでジルに声をかけて
今回2人できたそうだ。
世の中は狭いねと地元の話で盛り上がった。
ある晩のことイギリスとコスタリカのサッカーの試合があった。
ザキントス島のバプは大きなスクリーンでこの試合を放送していた。
夫も私もサッカーには興味がないのでいつもより早くホテルの戻り
モニカのバーへ行った。
バーには誰もいなかった。
私たちを見つけたモニカはサッカーのせいで暇でどうしようかと思っていたから
2人か来てくれて本当に嬉しいと言った。
それからも他の客は来ず、私たち3人でいろんな話をしてた。
夫がモニカがルーマニア人だということでチャウシェスク政権崩壊の話をしだした。
モニカはクーデターが始まった時に命からがら逃げた話を聞かせてくれた。

1989年、モニカはすでにギリシャに来ていてギリシャの市民権も得ていた。
クリスマスシーズンでモニカは一人ルーマニアの実家を訪ねる途中だった。
その日ブカレストの高級ホテルにモニカはいた。
そのホテルで買える美味しいチョコレートを家族への土産として頼んでおいたそうだ。
そのチョコレートと母親にバラの花束を買ってこれから実家へ向かおうとしていた。
ホテルのロビーにいたモニカは自分の背後で突然の爆音と奇妙な物音を聞いた。
ただ事ではないと振り返るとどんどん倒れる人。
そしてその倒れた人たちを乗り越えて前進してくる人たち。
モニカは何が起こっているのかわからなかったがとにかく逃げるしかないと思い
手に持っていたものを全て投げ捨てて一目散に外へ逃げたそうだ。
外では銃撃が始まっていて逃げ惑う人たち。
車に乗り込んだ男性がモニカを見て車は止められないが飛び乗れと言ったそうだ。
言われるままに車の窓から飛び込んだモニカ。
車に乗ってからガタガタ震えていたそうだ。
男性はモニカにどこに住んでいるのか訊ねた。
実家の住所を告げると車で送ってやることもできるが何が起こるかわからない。
地下鉄は動いているからそれで帰ったほうが安全だと思うと言われ
男性は地下鉄の駅で降ろしてくれた。
男性の言うとおり地下鉄は動いており市民は今何が起こっているかまだ知らないようだった。
地下鉄に乗ろうと思ったらモニカは自分が一文無しであることに気付いた。
全ての物を放り出してきたので何も持っていなかった。
モニカは人がよさそうな老人に地下鉄代を恵んでもらった。
地下鉄の中は普通どおりで人々は何も知らないようだった。
やっと実家へたどり着いたモニカは真っ青な顔をしていたそうだ。
その日出かけていたモニカのお父さんが外から電話を入れて
何があっても外には出ないことと言ったそうだ。
それからが連日銃撃戦で照明をつけることもできず
毎日家族でひっそりとしていたそうだ。

その後モニカは市民権を持っていたのでギリシャの大使館へ行き
保護してもらい一人ギリシャへ戻ったと言っていた。
あの時の恐怖は一生忘れられないと貴重な体験を話してくれた。

チャウシェスク夫妻が銃殺された映像を見たとき衝撃的だったのを覚えている。
その時の事を実際に体験したモニカの話を聞かせてもらえるとは思ってもいなかった。

今回の旅行が終わるときまたいつかモニカに会いたいねと夫と話した。
そして他の客がモニカに会いたくてまたザキントスを訪ねるのもわかる気がした。


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この記事へのコメント
日本以外では同時代か近い世代で信じられないような辛い思いをしている人がたくさんいて、話を伺うと信じられない気持ちになることがありますね。
私も最近、文化大革命での過酷な経験を50歳くらいの日本在住の中国のからお聞きして愕然としました。
私は昭和38年生まれなのでたぶん本当に国内の事も国外の事もよく知らないで育っています。
日本史、世界史、とくに近代史を学校は教えるべきだとものすごく感じます。平和なのはいいことだけど、無知は恥ずべき事ですね。

(kemmiさんスマ〜ト!!)
Posted by TSU at 2009年10月03日 18:48
☆TSUさま

大学の友達で留学生だった中国人のお父さんは文化大革命で投獄されて
子供だった友達はお母さんとお弁当を持って面会に行ったそうです。
その時お弁当の中に何か隠していないかと調べられたそうです。
友達は私より10歳近く若かったのでそんな経験をしているとは思いませんでした。
日本を出たり他の国の人と話したりすると自分が無知だなと思わされます。

(TSUさん、下半身が一サイズ大きくなって私もイギリスサイズになってきました。)
Posted by kemmi at 2009年10月04日 00:48
凄まじい恐怖体験話し・・・。
引き込まれるように一気に読みました。
身近で実際に味わった体験談は、恐ろしい程すごみを
感じさせてこちらにも恐怖心が満ちてきました。
記憶を閉じるのでは無く、こうして真実を語れる
モニカさんはすばらしい方、強い方と思います。
さらに彼女はバイリンガルで、機転が効いて、
人々を和ませてくれる・・・。接客業が生業の
ホテルに正にうってつけの女性だと思いました。
Posted by 北の旅烏 at 2009年10月05日 10:25
☆北の旅烏さま

チャウシェスクの映像を見たのは20年前でした。
あまりにも衝撃的で忘れることはできませんが
モニカの体験は想像を絶しました。

モニカはとても素敵な女性であのホテルに戻ってくる客は
モニカに会いたいからだと思いました。
旅先での出会いは貴重ですね。
Posted by kemmi at 2009年10月05日 18:17
職場にルーマニア生まれ・育ちのハンガリー人がいます。当然かもしれませんが、彼は当時のことはあまり話したがらないし、そして人をあまり信用していません。もちろんその人の性格だと言われればそれまでですが、彼らの背景にあるその出来事は無関係ではないのではと思わずにはいられません。

中学生のころ、政権が崩壊してからのドキュメンタリーを観た覚えがあります。日本の高校がルーマニアのためにボランティアで集めた文房具を送り、それを使用している子供たちの映像でした。未だに印象に残っています。
Posted by おゆり at 2009年10月10日 20:07
☆おゆりさま

きっとルーマニアではいろんなことがあったのでしょうね。
平和な日本で育った私たちには想像がつかないかもしれないですね。
Posted by kemmi at 2009年10月11日 05:23
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